読書中
ここのところの練習曲「はんたん山の枯れ赤木」の作詞者でもある川平朝申さんの本を読んでいます
普段から歌意を込めて唄えるようにといいたいところですが、煩雑なところを避けてけっこう意味もわからずに音の面白さで唄っていたりします。調べてもわからないところも多く、歌意を重んぜよということは唄の意味だけでなく、むしろ唄の履歴が主題になっている部分も少なからずあるのかもしれません。
知らない知識を得るのはなかなか面白いし、自分の勘違いぶりもなかなか楽しいです
例えば「恩納節」に出てくる役人のお触れなんかは、その時代の常態を表したものかと思いきや、1719年に中国の冊封使が恩納村に一泊するときに毛遊びを見られないように禁止させた役人のやりかたに対する皮肉ではないかとする解釈が書かれています。
なるほど、これだとかなりタイムリーな歌詞ということになりますね。
「謝敷節」の謝敷は国頭の西海岸の村で、明治以前には首里まで1週間から10日もかかる他地方の人が足を踏み入れない僻地だったとか。実際には当時の宮廷人が見たこともないような場所の情景を詠んだ唄なんですね。
これなんかは、知らないほうがいいこともある、知らないから想像豊かにできるというパターンでしょうか。
和歌が沖縄に伝わって八・八・八・六の詩型になったわけですが、朗詠するだけで節のなかった和歌と違って、節に新しい歌詞をのせて唄えるようになっていたことで、貴族の趣味にとどまらず文字の読み書きのできない人でも歌で心情を後世に遺すことができた。琉歌の魅力ですし素晴らしい発明だったんですね。
沖縄の歌と踊り 川平朝申 著 月刊沖縄社(1974年・改訂1982年) 1500円 を読んでの感想
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