2012年02月24日
最終講座

さて、春は別れの季節。
9年間係わったボランティアの市民大学が残すところ1週間後の公開講座をもって終わりとなることになりました。
自分自身、ボランティアというような線引きの仕方をしてるわけじゃないですが説明が面倒なのでそのような表現にまかせています。
思い出の回は、6年前の筑紫さん、古謝さん、佐原さんに出演いただいた公開講座。
http://www.kojamisako.com/koja_pages/misako5.html
このときは本番前の木曜日から終了後の月曜まで5日間不眠不休で動き続けました。
まだ若さが残っていたから出来たけども今だったら同じことは出来ないでしょう。
これをきっかけにいろいろ広がっていったこともありました。
やはり苦労はしなければいけません。
楽をしたときには楽をしたなりの結果が待っていました。
三線を始めたのもこの催しの後で、月曜の朝にホテルの喫茶店(コーヒーがおいしくなかった)で、古謝さんから真面目な調子で話されたお話の後に、自分は何もわかっていない、もっと沖縄のことがわかりたいと思ったことがひとつのきっかけになっています。
このときの筑紫さんの音楽についてのお話も印象に残っていて、もともと音階というのは西洋の十二音階みたいなものではなく民族ごとに数多くの音階があったものが西洋式に整除されたものだと。
三線を始めたことでこれも永遠のテーマになってしまいました。
自分が弾いてる三線こそまさにそういう試練にさらされているものですから。しかし、何を基準にすればいいのやらわからない。
始めたのが鍵盤楽器や弦楽器でもギターのようなフレットのあるものであればこういうことで悩まなかったかもしれません。
上の写真は今だから明かしますけど、本当は筑紫さん一人をアップで写そうとしたものでした。あれに使います、これに使いますということで随分写真も撮らせていただいたのですが、なかなか自然な筑紫さんらしい写真が撮れなくて。あっ、今だという瞬間に近づいてシャッターを切ろうとしたら古謝さんがⅤサインをされ、そこで大急ぎで引いて3ショットの写真にしました。両端のお二人の肩がけっこう切れているのはその大慌ての名残りです。
今はなき東芝のデジカメ。そのときは、また撮る機会は何度もあると思ってましたが今となっては貴重な一枚になりました。
最後の年度は市民大学本体とは関わらず、三線倶楽部だけをやりました。
3月4日、最後の講座の講師は金平茂紀さんだそうです。
会場は魚津市天神山学びの森交流館

Posted by sansinzamurai at 22:26│Comments(0)
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